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社会交通工学科 1年 長沼 諒太 |
1、寝台特急「トワイライトエクスプレス」 写真1、寝台特急トワイライトエクスプレス 2004年8月14日撮影 大阪駅 1‐1 自然と美食を堪能する豪華列車 「トワイライトエクスプレス」がデビューした1989年(平成元年)、世はバブル景気の真最中。この列車はそんな時代に背景から生まれた列車といえる。加えて、1988年にデビューした「北斗星」での高級志向の奏功が追い風にもなった。 「北斗星」のA寝台個室「ロイヤル」を超えた、寝台車初のスイートルーム。日本海の夕日を大パノラマで眺める「サロン・デュ・ノール」、食堂車史上高級を極めたフランス料理フルコースディナー‥‥‥それは日本における「クルージング・トレイン」の幕開けだった。 1‐2 従来のブルートレインからの脱却 設備もさることながら、この列車を最も印象付けたのは深緑色のベースカラーと黄色のアクセント。列車自体は従来のブルートレインの発展形だが、ここにきて車体色は20系以来じつに31年ぶりの変革を遂げた。車両は「北斗星」同様に従来の24系、14系、485系(食堂車)の改造でまかなわれたが、車体色の印象が非常に強く、かつ大幅な改造を伴った車両が多いために新車と見間違える人もいる程だった。さらに車体を細かく見ると、車両番号の表記位置が各車両ともデッキに寄っていて、しかも鮮やかに目立つ白抜き表記になっている。 2001年には、高いレベルのサービスを継続して提供するために全面リニューアルを施した編成が登場した。24系の中でも、特にさらなる活躍が期待されている。 1‐3 編成表 ↑大阪 牽引機EF81敦賀車(大阪〜青森)ED79函館車(青森〜五稜郭)DD51函館車(五稜郭〜札幌) 1号車スロネフ25‐500 SA1 SA2 ロイヤル・スイート 2号車スロネ25‐500 SA1 SA2 ロイヤル・スイート 3号車スシ24 食堂車 ダイナープレヤデス 4号車オハ25‐550 サロンカー 5号車オハネ25‐520 B2 B1 ツイン・シングルツイン 6号車オハネ25‐520 B2 B1 ツイン・シングルツイン 7号車オハネ25‐510 B2 ツイン・ミニサロン 8号車オハネ25‐560 B Bコンパーメント 9号車オハネフ25‐500 B Bコンパーメント カニ24 電源車 ↓札幌 2、寝台特急「日本海」 写真2、寝台特急日本海 2004年8月14日撮影 大阪駅 2‐1 雄大な走行エリアがそのまま愛称に 関西方面と東北との短絡路として重要な使命を担う「日本海縦貫線(通称)」が開通したのは1924年(大正13年)7月31日。同時に、神戸〜青森の“日本海縦貫急行”が運転を開始、これが「日本海」のルーツといえる。戦時中には運転を中断したが、1947年(昭和22年)に運転を再開し、3年後の1950年(昭和25年)に愛称「日本海」が付与された。 急行「日本海」はその後、10系軽量客車の投入によって体質改善が図られる。1968年(昭和43年)にはいよいよ20系による寝台特急が新設され、「日本海」の愛称はこの新設特急に引き継がれた。そして、「日本海」を名乗った急行列車は「きたぐに」に改称された。 2‐2 今も残るオーソドックスな編成 20系でスタートした特急「日本海」は1975年(昭和50年)3月改正時に14系化、1978年(昭和53年)10月改正時には24系化と、階段的に車両の改善が図られた。現在も国鉄時代とほとんど同じ外観で、しかもB寝台は開放2段式、A寝台も「日本海2・3号」は開放式のまま残り、国鉄時代のシンプルかつオーソドックスな編成を見せてくれた。1989年(平成元年)に「日本海1・4号」が函館まで延長された際、車内のグレートアップを期待した人もいるだろう。だが、今現在も開放式寝台で残るのは、走行線区の乗客の流動実態や志向を反映した結果なのだろう。 2‐3 編成表 ↑大阪 牽引機EF81敦賀車 カニ24 電源車 1号車オロネ25‐300 シングルデラックス 2号車オハネ25 B 開放B寝台 3号車オハネ25 B 開放B寝台 4号車オハネフ25 B 開放B寝台 5号車オハネ25 B 開放B寝台 6号車オハネ25 B 開放B寝台 7号車オハネ25 B 開放B寝台 8号車オハネフ25 B 開放B寝台 9号車オハネ25 B 開放B寝台 10号車オハネ25 B 開放B寝台 11号車オハネ25 B 開放B寝台 12号車オハネフ25 B 開放B寝台 ※9〜12号車は増結車 ↓青森 写真3 寝台特急日本海 牽引機トワイライト色 2008年8月7日撮影 山崎〜島本 |
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